入院③ 手術後1日目から7日目の退院まで
こちらの記事の続きです。
1日目
手術当日の夜から明け方にかけて、首こり肩こり腰こりのため、起き上がりたい欲求が半端なかったですが、朝に担当の看護師さんが来るまでは寝たままでいて下さいと言われていたので我慢してました。
もぞもぞはしていたのですが、ドレインの管がどう繋がっているのかが見えず、変なことになっても嫌なので大きくは動けなかったのです。
首の周囲は郭清時に皮膚表面の神経も切ったため、アゴから右耳の後ろまで麻痺が残っていて感覚がありません。正座で痺れた時のアレが首回りにある感じです。辛かったです。
ようやく朝一の看護師さん登場時には女神に見えました。(大げさ)
この時、体には点滴とドレインの管、カテーテルが刺さったままです。
看護師さん見守りの中、トイレまで歩けたらまずはカテーテルが抜けて平常時に一歩近づきます。
ですが、動けば傷が開くんじゃないかとかドレインが抜けるんじゃないかとか、その時めっちゃ痛いんじゃないかとかの怖さがありました。
しかし、平常時に戻るための大きな一歩です。腹筋動作のように片手だけ後頭部を支え、片手はベッドガードを持ち、一気に起き上がりました。起きれた!
看護師さん「えっ、急にうごきすぎ!(゚o゚;;」
…電動ベッドを動かしてゆっくり体を起こせばよかったようです。
カテーテルも自然にはちょっとやそっとじゃ抜けないので、足も勢いで動かしてトイレまで行きました。
無事カテーテル除去完了です。スッキリ。
手術翌日の1日目はこんな風にしてそこそこ歩いたりしながら過ごしていました。が、ふと鏡を見て「誰だこれは!」ってくらいあごから郭清した側の首が腫れていることに気がつきました。水でも溜まってるのかってぐらいブヨブヨなのです。
看護師さんに恐るおそる尋ねると、郭清したりした術後の影響で腫れは徐々に引いてゆくとのこと。
少し安心しましたが、かなり焦らされました。
2日目〜7日目の退院
その後は、毎日の胃カメラもどきでの声帯チェック(鼻に海水入った時みたいに痛い)で憂鬱になりながら、日に日に回復してるような気がする傷とともに退院日が決まりました。
傷の痛みは2日目くらいから出始めましたが、まあ我慢できる程度で日に日にましになっていきました。夜寝にくい時だけ痛み止めをもらっていました。
手術から3日目に抗生剤の点滴が抜け、4日目にドレインが抜け、6日目に抜糸、7日目の朝に退院となりました。
私の場合、ドレインが抜けたときの解放感が一番大きかったです。
A先生「ちょっと違和感ありますよ」と言われ、ズボッというそこそこの衝撃と共に抜いてもらいました。
痛みはほとんど無かったのですが、想像より大きな感触だったので、思わず「おふぅ!」という結構大きな声が出ました。が、先生、看護師さん皆スルー、、余計に恥ずかしかったです。
抜けた管を見ると、刺さっていた部分がストロー5センチ分ほどであったことがよく分かりました。あまり痛くなかったのが不思議なくらいです。
「こんなゴツいのがしかも2本抜けたらそりゃスッキリするよなぁ」てな感じです。
提供される病院食も授乳中(搾乳中)のためか、毎回完食です。授乳中を理由にお米の量を増やしてもらっていたのですが、それでも足りずにコンビニ菓子を買い足して食べていました。
(しかし体重増えず!母乳生産の消費カロリーってすごいです。)
この時点でまだ腫瘍の病理検査の結果は出ていませんでした。
手術後の症状の経過など
まず気になったのはアゴの腫れと首回りのコリと麻痺ですが、追加で私の場合は声枯れがひどかったです。
鼻から入れる胃カメラもどきで声帯は問題ないことをチェックしてもらっていましたが、術後2、3日は聞き取りづらいくらいひどい枯れっぷりでした。
アゴの腫れ、声枯れ共に、手術から2週間くらいでほとんど気にならないくらいに元に戻りました。
首回りから肩にかけてのコリは毎日ストレッチすることで徐々によくなりましたが、これは元通りになるまで2ヶ月くらいはかかりました。
ただ、首回りの麻痺だけは年単位で治るものだそうで、3ヶ月以上たった今、マシにはなっていますが何となく麻痺したままです。
肝心の傷は、A先生の指示通りケロイドを防ぐ傷テープを貼り続けたところ、今は線が残るのみです。
そういや一般的にも手術後と言えば当たり前なのかもしれないですが、ドレインが抜けるまでシャンプー出来なかったので拭き取り洗顔とドライシャンプーが重宝しました。