Ginpaの甲状腺がん闘病ブログ

三十路過ぎ(女)の育児中甲状腺がん闘病記録です

ヨード制限食クッキング

ヨード治療を行う準備として、がん治療の場合は2週間のヨード制限が必要です。食事にはかなり気を使うこととなりました。

 

私の乗り切り方

要は海のものを避ければいいだけかと思っていましたが、思ったより複雑、、

病院からもらった冊子には、「外食は何入ってるか分からないから控えましょう。」「加工食品は原材料を確認しましょう」「避けた方がいい成分の中には、カラギナンというものがあり、海藻由来の食品添加物で、「増粘剤、安定剤、ゲル化剤、糊料、増粘多糖類」と表示される場合があります。」

私「(増粘剤、安定剤、ゲル化剤、糊料、増粘多糖類なんてレトルトとかアイスとかめちゃめちゃいろんなもんに書かれとるやんけ!もうよくわからん!)」

精製されたカラギナンのヨウ素の残留濃度なんて低そうな気がするんですが、、

 

実は制限期間の前半戦、よく分かっていなくてアイスもハーフマヨネーズもヨーグルトも牛乳も好きに食べてました。

塩もよく分からんところの天然塩、砂糖も黒砂糖、三温糖普通に使ってたのです。

 

…ということで、まあ結局よく分からんもんは分からんですし、これ以上の失敗を恐れた私は単純な食材と調味料で後半戦を乗り切ることにしました。

 

このとき私が主に参照したのはこちらのページです。
【札幌市東区】社会医療法人社団カレスサッポロ 北光記念病院 心臓血管外科

 

制限期間に自炊以外で食べたのはナポリの窯マルゲリータだけです。

制限期間の終わりの方に食べたので、美味しかった…

これでTSHの値は入院初日に50(30以上で合格)でした。

 

使った調味料

・醤油(だし入りでないもの)

・上白糖

・米酢

・精製塩

・調理酒

・オリーブオイル

・ごま油

・コンソメ

・鶏ガラスープ

・カレー粉

ケチャップ

・はちみつ

・みりん

 

飲み物

・インスタントコーヒー

・麦茶

・ビール

・牛乳は少量

 

よく食べたレシピ

簡単な工程ばかりです。

だいたい多めに作って、冷凍して日を置いて食べたりしてました。

 

「鶏肉の酢醤油煮」

鶏モモ2枚くらい、あるいは手羽元

酢100cc、醤油100cc、砂糖大さじ3

鶏モモは好きな大きさに切って鍋に敷き詰めます。その上から酢、醤油、砂糖を入れて沸騰したら弱火で20-30分煮ます。終わり。落し蓋をしておくと味が染みやすいです。

 

「白菜クリーム煮」

白菜 4分の1、にんじん 1本、きのこ ひとパック

コンソメキューブ 1個、塩胡椒、水500cc

牛乳 300cc、オリーブオイル 40cc、小麦粉 大さじ5ぐらい

食べやすい大きさに切った白菜、きのこ、短冊に切ったにんじん、コンソメを水で煮ます。オリーブオイルと小麦粉を耐熱容器で1分加熱してすぐに牛乳を少しずつ泡立て器とかで混ぜながら入れていきます。頑張って混ぜると滑らかなホワイトソースもどきができるので、これを野菜の鍋に入れて混ぜて10分くらいで出来上がり。塩胡椒して味を見てください。

 

「ナスと豚肉の南蛮風」

ナス2本、豚コマ100g

醤油、酢、砂糖、小麦粉全部大さじ1

細切りにしたナスと豚コマと小麦粉を袋に入れてシャカシャカします。これを油で炒めて火が通ったら調味料を入れて絡んだら終わりです。

 

「自家製ジャム」

いちご ひとパック(小瓶一つ分くらいになります)

砂糖 いちごの30w%、レモン汁 大さじ1/2

いちごは乾いたものを使います(私は洗わない派)。ヘタを切り取ったいちごを鍋に入れて大まかにつぶし、砂糖を入れて弱火で煮て、フツフツしてきたらレモン汁を入れて焦げないようにさらに煮ます。混ぜながら20分〜30分後、アクみたいなアワみたいなのが無くなってきたら出来上がり。保存容器を気をつければ一年もちます。

 

トースト」

食パンを焼いてはちみつとかジャムを塗って食べます。美味しいです。

 

「塩むすび」

おにぎりの味付けを塩だけ。味気ないですが、仕方ありません。

 

「ほうれん草と玉ねぎのスープ」

ほうれん草ひと束、玉ねぎ1個

オリーブオイル大2、小麦粉大2

コンソメキューブ1個、水500cc

ほうれん草は下ゆでして食べやすい大きさに切っておきます。細切りした玉ねぎをオリーブオイルで炒めてしんなりしたら小麦粉を加えて弱火で炒めます。混ぜながら水を入れてコンソメキューブを入れます。沸騰したら火を止めてほうれん草を入れて出来上がりです。自分の舌を信じ、お好みで塩胡椒します。

 

「野菜のトマト煮」

お好きな野菜鍋をに入るだけ、鶏胸肉1枚

トマト2個、コンソメキューブ2個、水700cc

野菜と鶏肉を食べやすい大きさに切ります。おすすめはキャベツ、にんじん、玉ねぎ、じゃがいも、きのこ類、なすです。玉ねぎと根菜は耐熱容器に入れてラップしてレンジで3分ほどチンしてください。それと他の野菜、肉を鍋に入れて煮ます。コンソメキューブと刻んだトマトも入れて蓋をして煮ます。30分くらいして野菜がクタクタになっていたら塩胡椒で味付けして終わりです。レモン汁をかけて食べるのも好きです。

 

「かぼちゃオーブン焼き」

かぼちゃ 食べたい量

塩、油 適量

かぼちゃをタネを取ってちょいとだけ皮をむき、食べやすい大きさに切り、塩と油を絡めて天板に敷いたクッキングシートに重ならないように並べます。230度に予熱したオーブンで20分焼きます。硬かったら時間を延ばします。焦げそうになったら時間を短くするかアルミホイルを乗せます。

 

「ふかし芋」

さつまいも、水、炊飯器

炊飯器の釜に水洗いしたさつまいもを入れます。蓋が閉まらなければ、はみ出たところは切って入れます。釜の半分くらい(5号炊きなら3くらい)水を入れて炊飯スタートします。炊き上がったら出来上がり。品種は安納芋が甘くて好きです。

甲状腺全摘後のヨード治療の準備

今回は甲状腺全摘後、ヨード治療入院前までの話で、以下記事の続きになります。

再入院、再手術 - Ginpaの甲状腺がん闘病ブログ

 

2回目の手術後の経過

1回目とは異なり、リンパ郭清は無かったので、個人的には術後の経過もかなり楽でした。

 

3日後に受けた検診でも傷の経過はよく、痛みもほとんど感じていませんでした。1度目でひどかった声のカスレもほとんど無く、退院後に日常生活で困ることはない状態でした。

この時の血液検査でカルシウム値が9.8まで落ちていたため、細粒1.5g/日を追加することとしました。

その後、半月〜1ヶ月に一度の検査を受けてカルシウム値の経過を見、3ヶ月近く経った今ではカルシウムの補助としてはアルファロール一錠のみとなっています。(もちろん甲状腺機能の代替としてはチラージンを服用しています)

 

ヨード治療を行う病院に面談へ

手術を受けた県内の大学病院ではヨード治療を行うことができず、別の県外の病院を二つほど紹介されました。ヨード治療は手法が確立されたものであるため、どこで受けてもあまり違いはないとのことでしたので、比較的空いてそうな方の病院を選びました(以下、ヨード治療を行った病院をB病院と書きます)。

手術の結果、検査データなどを持ってB病院を訪れたのが退院後1週間経ってから。担当頂いたC先生、ノリは軽い感じ。

以下、C先生の話の要約です。

 ・大学病院のA先生から紹介されるのは、基本的に高リスクと判断された人が来る。

・「病理検査の検体を自分で見たわけではないから推測だが、もしかするとGinpaさんのは顔つきのいいがんではなかったのかもしれない。」とのこと。

・B病院では、治療開始まで最短で2ヶ月半

 ・放射性ヨウ素を残存組織、あるいはがん細胞が取り込みやすくするため、全摘後から服用しているチラージンはヨード治療開始の4週間前から中止し、チロナミンへ切り替え。チロナミンも治療開始の2週間前に中止。

・食事からヨードを取り込まないようにヨード制限食を治療開始の2週間前から開始。

・ヨード服用の前日から入院。入院時点で血液検査を行い、サイログロブリン値が30以上であれば合格、治療が出来る。

・服用後、当日入れて4日間隔離部屋に入院。

・体から出る線量が30マイクロシーベルト以下であれば隔離部屋から脱出出来る。

放射性物質甲状腺組織に取り込まれなかった分は9割がた尿に出る。多少、便や汗に出る。

 ・チロナミンをやめて、甲状腺機能低下症になるはず。体がだるいなどの症状が出るかもしれないが、程度は人によるのでなってみないと分からない。

私「やっぱり授乳は継続しない方がいいですか?」

C先生「同様の治療を行うパセドー病の患者で治療3ヶ月後の母乳に放射性物質が残っていたというデータがあります。甲状腺がん治療の方が甲状腺組織を残していない分、放射性物質は抜けやすいですが、投与量はパセドー病より多いのでなんとも。。結局、授乳、妊娠は治療から1年待ってくださいというのがガイドラインです。」

正味の話、母乳に残る放射性物質がどの程度、どの期間続くのかはわからない様子でした。

リスクを抱えた(というかよく分からない)母乳を子供に与えるわけにはいかないので、大変残念でしたが、ヨード治療前に母乳育児は終了です。がっかり。

 

また今回私は治療までの待ち時間が2ヶ月半でしたが、これは比較的空いているB病院の場合。

日本ではヨード治療が必要な患者数に対してヨード治療施設数が不足しており、他の人気のある(都会とか?)病院では半年待ちはザラにあるみたいです。

別のデータでは、甲状腺がん患者数は増加傾向にあるとか。ヨード治療は隔離部屋などの認定が必要な特殊施設が必要であり設置のハードルが高いみたいですが、何とかして欲しい問題ですね。

参考ページ

甲状腺がんとは|甲状腺がんについて|甲状腺がんについて|甲状腺がん.hhc

 

入院までのあれこれや持ち物の準備など

こうして、全摘術後の経過に問題のなかった私はヨード治療の予約をB病院で手配し、服薬の変更やヨード制限食で準備を進めることになりました。

制限食の乗り切り方と子供の完母から完ミへの切り替えもなかなかボリュームのある出来事でしたが、これらについては別記事に載せます。

 

で、肝心の甲状腺機能低下症ですが、服用を辞めてから2週間、私は自覚症状ほとんどありませんでした。

授乳を辞めたのと同時期だったので、もしかするとその影響かもしれないですが、「やや便秘」「食欲減退」はありました。その他、体重は変化なく、疲れやすさも自覚は無しでした。

 

あと、今回、隔離部屋に入るということで、普通の入院よりも準備する荷物が多くなってしまいました。だいたい準備して正解だったなーと個人的には思ったので、以下列挙します。

捨てて帰る「サンダル」暇つぶしの「小説」。

入院中毎日使い捨てる「下着」「タオル」「歯ブラシ」「ハシ」「紙コップ」。

入院中のみの小分けとした「化粧水」「(乾燥肌なので)保湿剤」「シャンプー、洗顔、ボディソープ」。

尿をたくさん出すための「2ℓの水とお茶」「ドリップコーヒーいっぱい」「紅茶パック」。

放射性ヨウ素によってダメージを受ける可能性のある唾液腺保護のため、唾液を出すための「ガム」「グミ」。

 

エビス はみがき付歯ブラシ ラッキーハブラシ 5本入

エビス はみがき付歯ブラシ ラッキーハブラシ 5本入

 

 

 

哺乳瓶探しの旅 「お願いします飲んでください」

今回は入院などの母子分離や完全ミルクへの移行の際に必要だった哺乳瓶の話です。哺乳瓶を嫌がったり飲まなかったりすることもあったので、色々試した内容を紹介します。

 

実際に必要だったのは、子供の月齢別に以下の時期(継続使用中)でした。

1ヶ月時点(特に問題なし)

PET検査時と1回目の入院時の母子分離状態の時、哺乳瓶を使用しました。

この時分は特にこだわりがなかったようで、産院でお借りして試して大丈夫だったものを継続して使いました。

また、この際は搾乳で全てまかなうことができたので、ミルクは使用していません。使ったのは以下の有名どころでした。友人のところでも、このシリーズで混合栄養を成功している子が何人かいました。

 

2ヶ月時点(哺乳瓶との混合で混乱)

2回目の入院時も1回目と同様に進めるつもりで、入院2週間ほど前に哺乳瓶(母乳実感)で搾乳を飲んでもらうことを再開しました。

がしかし、なんか嫌がります。これを何度か続けるうちに、直母に戻ってもこちらもなんか嫌がり始めました。

「(これはまずい!)」

恐らくですが、直母が上手になってきていた時期だったのに、よく分からない(というか忘れた)哺乳瓶を突っ込まれ混乱してしまったのだと思います。また私の乳頭と母乳実感は相性が悪かったのかもしれません。

入院のインターバルの間も哺乳瓶慣れを続けていれば良かったのか。。。

うちの子は立って抱っこさえしていれば大概機嫌を直してくれるので、ひとまずこの時は立って横抱きゆらゆらしながら直母で授乳するという方法でしのぎました。デメリットは私の腕が死にかけることです。

その後すぐ「直母に近い感触」の観点で口コミを調べて入手したのが以下の母乳相談室でした。

時間はかかりますが、2度目の入院期間中も何とか飲んでくれ、また退院後の直母にも影響は少なかったです。

ただ、母乳実感嫌がりの後遺症か、機嫌の悪い時の直母は、常に立ってゆらゆらの授乳をご所望されるようになってしまいました。┗(;´Д`)┛超おもてぇ。

 

4ヶ月以降(完全ミルクへの道)

私の場合、ヨード治療以降は母乳を与えることが出来なくなる(※)ため、ヨード治療の入院前に完全ミルクへ移行してもらう必要がありました。

※一般にヨード治療後は一定期間授乳、妊娠を避ける必要があると言われていますが、もし同じような状況の方であっても、主治医の先生には確認してみてください。

2回目の退院後もそのまま母乳相談室を使い続けたかったのですが、成長とともに哺乳瓶の乳首が口に合わなくなってきたようで、飲み辛さからか飲むのに30分以上もかかっていました。時間がかかることで必要以上に疲れてしまうし飲む量も直母より少ないのか、順調であった体重増加にブレーキがかかっていました。

しかし残念ながら、母乳相談室には上のサイズがありません。なので、また乳首探しの旅に出なければいけなくなりました。

哺乳瓶で飲ませるポイントを助産師さんに聞くと、

・母親では「そこにおっぱいあるじゃねーか」と思って飲まない子が多いので、他人が飲ませてみる

・乳首メーカーだけでなく、サイズ変更も重要であることもある

・ただ、乳首変更を色々やり過ぎるとかえって赤ちゃんが混乱するので、ちょっとマシなものが分かったら、それを時間をかけて慣らす方がよいかも

・ミルクをあげる場合は味の好みがあるかもしれないので、飲みが悪い場合はミルクの種類を変えてみる

・あげる搾乳やミルクの温度に気をつける。冷たいと赤ちゃんは不味いと感じるらしい

・哺乳瓶がもう何をやってもダメなら、5ヶ月を超えてるので大人が補助しながらスパウトやコップで飲ませる

 

以下、実際にこのとき試したものとその結果です。 

今回はもう直母に戻れなくなってもいいので、母乳に近いとかは無視して色々試しました。

ピジョン母乳実感Mサイズ …ぺっと出して飲む気なし。

ピジョン母乳実感Mサイズ 私は出かけて家の中から母親の気配を消し、主人が飲ませる …1時間泣き叫ぶ。

ピジョン母乳相談室へ出戻り …ぺっと出す「(なぜ?!)」

ピジョンKタイプ …ぺっ

・ヌークプレミアムチョイスMサイズ …ちょっと舐め舐め

・ヌークプレミアムチョイスSサイズ …なんか舐め舐め。Mサイズよりマシ。飲まないが嫌がりもしない。「(これだー!)」

その後ヌークSサイズに固定して少しずつ慣れてもらいました。最初の1週間は泣き叫んだり拒んだりはしないもののほとんど飲まずすぐに気を散らしてキョロキョロするので、一人が立ってゆらゆらしながら飲ませてもう一人が踊りながら気をひくという状態で飲ませていました。

絵にするとこんな感じです。飲ませる方(主人かバァバ)は片手哺乳瓶持ちで、もう片手と椅子に乗せた足の膝で支えて上下にゆらゆら。もう一人(私)はキョロキョロしかける子をまっすぐ向かせるために、授乳中ずっと歌いながら変な激しい踊りで注目させます。心の中は真剣ですが、あくまで楽しくをモットーに大人二人は超笑顔でいることがポイントです。

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最初は10cc、20ccほどしかのまなかったのですが、幸い2週間ほどで慣れてくれたので、謎の踊りもそこで終了となるのでした。めでたし。

ミルクの味については、ネットの口コミで、ミルクアレルギー対応品やアレルギーの出にくい種類は不味いという意見が多かったので、我が家は明治のほほえみに変えたところさらに飲みが改善しました。(最初は○永のE○ちゃんでした)

万一アレルギーが出ても対応できるように、初めてのミルクを与えるのは小児科が開いている時間帯にしました。

またミルクお試しで1缶買うと、失敗した時の廃棄が勿体無いので、最初は以下のような少量個装のもので試しました。

明治 ほほえみ らくらくキューブ 21.6g×5袋入り

明治 ほほえみ らくらくキューブ 21.6g×5袋入り

 

その後、完全ミルクに移行してからも体重増加の程度や機嫌の程も変わらずなので、寂しい気持ちもありましたが、数日で 「まあ元気が一番なにより」と思えるようになりました。

その後、特に問題なく哺乳瓶で飲んでくれているので、哺乳瓶探しの旅はこれにて落着することになりました。

 

あとはこれと並行して母乳を止めるケアをしているのですが、それは別の記事としてアップしたいと思っています。

 

がん治療方針に反映させる患者(私)の希望とか

1回目の手術である甲状腺半摘手術をした際の病理検査結果から、ハイリスクであることが分かり、追加で全摘手術とヨード治療を行う判断をすることになりました。

 

結果だけ見れば、手術に関しては二度手間です。結局全摘をした2回目の入院期間もさほど長くならなかったのだから、「再発リスクを最小限に抑えることが何よりも重きをおく!」として、最初から全摘しておけばヨード治療までの時間や生活の手間、全て楽だったのは間違いありません。

娘にも大事な時期にそばにいてやれない期間を延ばしてしまったことは申し訳ないと感じています。

 

どんなことについてもリスクをゼロにすることは出来ないですが、私の病状は、1回目の手術前に想定しうる事象ではありました。

(全摘の方が再発などのリスクが低いこと、甲状腺温存手術後に再手術を行う事例もあることは事前に聞いたり調べたりはしていました。ネットで参考にした一部の統計データはこちらの記事にも載せています。甲状腺がんの生存率や治療について - Ginpaの甲状腺がん闘病ブログ

 

全摘か温存るすかの判断材料の1つに、私の希望を天秤の重りとして温存側に乗せてしまった訳ではありますが、いまは思ったよりは後ろ向きにならずに済んでいます。

その理由は、その場その場で判断する際納得していたかどうかですかね。

 

納得感を得られる手段はたぶんご本人の考え方やかかられている病院や病状などによってそれぞれで、例えばセカンドオピニオン絶対必要という方もいらっしゃると思います。

自身の状況に合わせ、自分にあった進め方を理解しておくことは大切ですね。

そのためには「自分が一番気落ちすることは何だろう」と考えると一番分かりやすいかもしれません。私の場合は、「無知ゆえ楽観していたところにアテが外れる」ことです。

甲状腺乳頭がんでGoogle先生に聞くと、まず「乳頭がんは予後が極めて良好」とか答えてくれます。もしそれで調べることをやめてしまったら「手術さえすれば自分は100%治るんだ」とか楽観して思ってしまいそうなくらいに。それでは駄目なので、当社比ですがマイナスの情報を積極的に探すことにしていました。

これは自分自身が面倒くさがりの楽観主義であり過ぎることを踏まえて、がんの疑いを告知されたときにした反省(呑気過ぎた反省)から気をつけたことです。めっちゃ最近からですが(笑)。


再手術とヨード治療をを勧められた時も渋りまくって色々確認し直したので、今は「やっちまった!でも仕方ない!次だ次!」という気分で進めています。

 

ただ、主人に聞くと最初から「全部取っちゃった方がいいんじゃないのかなぁ〜」という思いは彼個人としてはよぎっていたみたいです。生活面で主人に迷惑はかけているので、そこは全力で謝りました。どうやら私は私の思いを優先させすぎているのかも。

でもまあいいじゃないですか、今は本人(私)前向きですしね。寛解したりまた判断が悪かったことが分かったりしたら、またこの考えも見直しちゃうかもしれませんが。

再入院、再手術

2回目の手術入院のレポートです。

1回目の手術後の病理検査結果より、再発リスクが高いことが分かったので再手術による甲状腺全摘となりました。

今後予定するヨード治療のための準備でもあります。

 

入院日(手術前日)と手術当日

前回とほぼ同じ内容でしかも前回から1ヶ月しかたっていないため、手術前日は自分も気楽だし看護師さんたちも対応がいい感じに適当でした。

術前検査が歯科検診と麻酔科へのサイン、採血くらいしかないのでこれもかなり楽でした。

手術についての説明も新しい情報はなく、同意書にサインして終了です。

 

さて、手術当日も同じ流れ。ただ麻酔から目覚めた後、リンパ郭清が無い分痺れやコリも無く、術後の状態は非常に楽に感じました。ドレインの管も一本に減っていて、搾乳も楽になりました。

だからといって首をブンブン動かせるわけではないので、変わらず長めのストローは必須ですが。

 

手術後1日目から7日目の退院まで

結局今回入院期間は延びませんでした。

点滴や服薬によって取り入れたカルシウムとカルシウム吸収促進剤が予想外にきいたのか、最初血中のカルシウム値がむしろ正常範囲の上限を超えてしまいました。

逆に薬の量を減らして正常範囲に戻すのに最後の2、3日を費やすことになったのです。

 

話を戻して手術の翌日から、

前回よりもお腹が空いて空いて仕方なかったです。開始食である朝食のパンじゃ全然足りなかったですが、これは前回よりも母乳の生産量が増えていたためもあるんじゃないかなと思います。

さて真面目な話、前回と異なるのは、甲状腺ホルモン剤であるチラーヂンSの服薬カルシウムの点滴とカルシウム細粒、カルシウム吸収促進のためのアルファロールというカプセルを服薬することです。

この日の早朝少し手が痺れていましたが、これはカルシウム値が低下することによるテタニーという症状だそうです。もっと酷い方は手がつっぱってしまって動かせないのだとか。

実際この日の採血結果ではカルシウム値は7.8と正常範囲(8.4-10.2)を下回っていました。

しかしここから私の血中カルシウム値は何かしら頑張り始めるのでした。

1日目 7.8

2日目 9.8  急回復したのでカルシウム点滴量を4分の1に

3日目 10.4  上限を超える 点滴やめる

4日目 10.6  カルシウム細粒も半分に、退院日決まらない

5日目 10.4  飲み薬もゼロに、抜糸も完了

6日目 10.2  …一応退院許可

この間、アルファロールは飲み続けていました。

私「何でこんなに高いんでしょうか。実はどこかに副甲状腺が残っているんでしょうか。」

A先生「そういうケースの人もいますが、今回Ginpaさんは副甲状腺の機能を示すPTHの値が低いので、残っていたとか埋め込みなおした副甲状腺がすでに働き始めたとかではないです。よくわかりません。」

私「ええー_(┐「ε:)_ズコ-」

 

同部屋には私より先に甲状腺の全摘をされた方がいて、その方の話では「カルシウムは増やして投与されているが、術後数日たってもなかなかカルシウム値が上がらず、テタニー症状も出ている」と仰っていたので、結構個人差の大きいものなのかと思いました。

 

とりあえず無事?全摘手術が完了したので、ヨード治療を行う病院の紹介状を書いてもらいました。

念のため、退院後の検診を3日後と近い日程にしてもらい、痺れなどの異常があれば即連絡するとして、退院しました。

退院後の外来にて 病理検査結果と治療の追加について

今回は、以下の記事の退院4日後に行った外来の話です。

入院中は病理検査結果が出ていなかったので、その報告と傷などの経過確認のためでした。

入院③ 手術後1日目から7日目の退院まで - Ginpaの甲状腺がん闘病ブログ

 

この時、甲状腺は半分くらい残ったままだったので、念のための痛み止め以外特に何も薬は処方されていない状態でした。

 

A先生相変わらず淡々と「傷や体調はどうですか?」

私「特に何も変わらないです。首のコリが一番辛いです。」

A先生触診後、「経過は問題ないですね。病理検査結果により乳頭がんで確定です。ただリンパ郭清した部分の上から下まで小さなものがたくさん見つかりました。2、3個見つかるケースは多いですが、ここまで転移が多いのは珍しいです。リスクが高いので追加の手術と治療が必要と考えます。」

私「え、ええ〜(;´Д`A  (一番アカンパターンやないかーい)」

ここまでA先生、話のテンション全く変わらず、なので相変わらず冷静に聞けました。

が、言われた内容に流石にちょっと凹みました。

病理検査で確定したわたしのTNM分類とステージは、T3N1bM0 stageⅠです。(分類とステージの説明はこちらを参照しました → 甲状腺がん|がんに関する情報|がん研有明病院

 

以下、この時の話のまとめです。

・リンパ郭清した箇所から見つかった転移が12個(多い!)で、1個以外はCTなどに映らない微小サイズであった

・ここまで転移が多いのは珍しく、放っておくと再発や肺などへの遠隔転移の可能性が高いためまず甲状腺全摘のための再手術をする

・さらに全摘後、体に残存するかもしれないがんを死滅させるため、ヨード治療を行う

・ヨード治療が可能であるのは甲状腺を全摘した人である

・よって再手術による全摘は、再発のリスクをさげることとヨード治療の準備という2つの意味合いを持つ

・全摘なので、甲状腺機能低下症を防ぐホルモン剤の服薬が必要でこれは一生飲み続けるもの

甲状腺と一緒に副甲状腺も取ってしまうため、カルシウム低下を防ぐ補充のための服薬が必要

・補充の投薬量をカルシウム値の回復の状況で調整しないといけないため、全摘手術の場合は半摘よりも手術後の入院期間が倍近くになることが多い

副甲状腺は手術の際に近くの組織へ埋めなおすことが出来れば、そのうち機能が復活してカルシウム低下を防ぐ補充の薬は止めることができるようになるかもしれない

・ヨード治療は認定された施設を持つ病院でないと出来ず、この大学病院にはないので、その治療だけ別の病院を紹介されることになる

・ヨード治療とは、甲状腺がんが取り込みやすい放射性ヨード131を服薬することで、体の内側からがんを攻撃するもの

・再発リスクがあるので、私の場合ヨード治療は全摘してから半年以内までに行った方がよい

放射性物質を取り込むので、一定期間妊娠や授乳が出来ない

 

色々説明を受けましたが、最後の「授乳できなくなる」点で渋り始めました。私が。

私「ヨード治療は再発した患者さんがよく受ける治療ではないですか?」

A先生「一般的にはそのケースが多いですが、今回のGinpaさんの例では進行性の早い可能性がありリスクが他の方より高いです。遅らせればリスクが上がるだけです。低分化がんになる可能性もあります。もし自分の家族であれば絶対ヨード治療をさせるケースです。」

私「…やります。」

治療を遅らせる方法ないか、など、実際はもう少し渋っていましたが、またしてもたまたま一緒に来ていた主人に「前よりも再発なんかのリスクが高いことが分かる情報が増えた。いま娘に母乳をあげるよりも、将来を元気で長く一緒に暮らす方がいいよ」と言われたことがトリガーで、追加の治療を決めました。

授乳はヨード治療の直前まで続けるつもりです。

 

ヨード治療を受けるためにもまずは甲状腺の全摘が必要です。

この日すぐ次回の入院手続きをして帰りました。

次の入院はここから1ヶ月後となりました。

健康診断の異常検出力

結局今回、自覚症状なしの段階で甲状腺乳頭がんを発見できたことは、自分の性格を加味すると「ラッキーが重なっただけ」だと思っています。

 

A先生の推測ですが、私の腫瘍は5年10年くらいかけてじわじわゆっくりと大きくなったのではないか?ということでした。

「じゃあ今回の健康診断より前の健康診断でも見つかっていたんじゃないの?」てなものですが、実際はそうでは無かったのです。

 

過去記事に書いた通り、この年はそれまでと健康診断のお医者さんが変わりました。

甲状腺がん告知まで① 健康診断で引っかかる - Ginpaの甲状腺がん闘病ブログ

ですので、もし担当医さんが変わっていなければ、今もがんの存在を知らずに過ごしていたかもしれません。

ちょっと恐ろしい、、、

健康診断の検出能力は、担当する医療機関だけでなく、担当医さんの個人能力(専門性)によってばらばらだなぁ、、と改めて実感。

 

私の場合ですが、

 

① たまたま診てもらうお医者さんが変わり、甲状腺の異常を気にしてくれる人になっていた

② ①を受けた時期がたまたま妊娠していて、健康意識の高い状態でありきちんと再検査を受けた

③ ①を受けた時期がたまたまがんが手遅れでない時期だった(加療中のためたぶん)

 

②だけは自分の意識改革でなんとかなりそうですが、①と③は自分ではなんともなりません。

会社の健康診断の検出能力の低さは上の通り明らかですから、検出力を上げるためには適切なお金を支払って、がん検診のオプションや人間ドックなどを受けた方が良いのでしょうね。

当たり前の結論でした。

 

甲状腺乳頭がんは知らず知らずにかかっていてそのまま何もなく天寿を全うされる方も多いと聞きました。

ですので、放っておいて全ての甲状腺がんが手遅れになるわけではないことは追記しておきます。

ただ、私の場合、のちの記事で書こうと思いますが、普通よりは元気ながん細胞さんらしかったので、放っておくともしかしたら手遅れになっていたかもしれないので、こんな風に書きました。

甲状腺がんの生存率や治療について

甲状腺乳頭がんの疑いを告知され、初めてこのがんについて検索して調べました。私の覚書も兼ねてざっとしたことを書きます。

私の病名はこの告知の時点で「甲状腺乳頭がん の疑いclassIIIb」でした。

 

甲状腺がんの患者 …

1年間に人口10万人あたり7人前後発生

四つ葉のクローバーの発生確率が10万個中の1個なのでそれよりは高いくらいですか、ピンとこないですね。年末ジャンボの一等1000万分の1の確率よりはだいぶ高いですが。

 

甲状腺がんの種類 …

・乳頭がん …分化がん。日本の甲状腺がん患者の9割がこれに当たる。予後が良いがんとされる。女性に多く、極めてゆっくり進行するが高齢で発症するほど悪性度が高い。

・濾胞がん …分化がん。5%がこれに当たる。予後は比較的良い。

・髄様がん …1〜2%がこれに当たる。乳頭がん、髄様がんより進行が早い。2、3割が遺伝性。

・未分化がん …1〜2%がこれに当たる。進行が早く悪性度の高いがん。高齢者に多い。

その他、悪性リンパ腫や低分化がんといった分類もある。

一般的に予後が良いと言われている進行度の低い分化がん(乳頭がん、濾胞がん)であるが、急速に進行する未分化がんに変化することは起こり得ることで、特に高齢者では注意が必要。また一方で、微小な乳頭がんで若年者であっても、経過観察中にリンパ節などの転移が認められる湿潤、転移しやすいタイプも存在する。

 

甲状腺がんのステージ別生存率 …

10年生存率(1999-2002年初回入院治療症例)

Ⅰ期 100%

Ⅱ期 100%

Ⅲ期 94.2%

Ⅳ期 52.8%

全症例 90.9%

統計を取った条件(時期や地域)によってそこそこ変動するみたいです。この数値は、最後に示す参照サイトの2つ目から引用しました。

 

甲状腺乳頭がんの治療方針と温存によるリスク …

遠隔転移のない乳頭がんの場合基本的には手術が基本となりますが、方針は日本と欧米で異なるようです。ステージが低い場合、進行が遅く予後の良いがんであり、生存率が非常に高いことが、かえって複数ある治療方針の優劣を分かりにくくしているようです。

この辺りは、以下HPに詳しく書かれていますが、方針と再発リスクについて抜粋します。

甲状腺がん|がんに関する情報|がん研有明病院

 

手術手法の違いによるメリットデメリット

1. 甲状腺全摘を行う (補助療法も行う)
甲状腺にがんが残ることがない

◎ 手術後、放射性ヨードによる転移の検索、治療が容易にできる
◎ 再発のチェックが、血液検査によって、サイログロブリン値を測定することで、容易に可能
× 手術による合併症(副甲状腺[上皮小体]機能低下、反回神経麻痺)が起こる確率が高い 

× 生涯、甲状腺ホルモンを薬として飲まなければならない

2. できるだけ甲状腺を温存した手術を行う (補助療法は行わない)

◎ 手術によって、副甲状腺上皮小体)機能低下、反回神経麻痺などの合併症が起こる確率が低い
◎ 手術後、甲状腺ホルモンを飲む必要がないことが多い

× 温存した甲状腺に小さながんが残る可能性がある
× 放射性ヨードによる検査、治療を行う場合、温存した甲状腺を、もう一度手術して切除することが必要となる
× 血中サイログロブリン値は、がん再発のマーカーにならない

 

手術手法の違いと再発リスク

1. 甲状腺全摘を行う(補助療法も行う)

・欧米の多くの病院がこの方法を採用
(がん研病院ではこれまで採用せず)
・生存率は2の方針と変わらない
・再発率は2の方針より優れているという報告が多い

2. できるだけ甲状腺を温存した手術を行う
(補助療法は行わない)
・がん研病院ではこれまでこの方法を採用
・低危険度乳頭がんの10年生存率、99%以上
・温存した甲状腺への再発、1.4%
・肺などへの遠隔再発、1.2%
・リンパ節再発、7.2%

 

参照サイト(2017年4月時点での参照)

甲状腺がん:[国立がん研究センター がん情報サービス 医療関係者の方へ]

全がん協加盟施設の生存率協同調査 / 全がん協生存率

甲状腺がん|がんに関する情報|がん研有明病院

甲状腺微小乳頭癌に対する長崎クリニック(大阪)の考え方

http://ganjoho.jp/data/public/qa_links/brochure/odjrh3000000ul06-att/117.pdf

搾乳機について 私の選び方と入院時に使ってみた感想

入院中の必須アイテムであった搾乳機の話です。

 

搾乳機使用を決めた訳

出産するまでは搾乳機の存在すら知らず、助産師さんに勧められるまでは手で絞る気満々でした。

がしかし、いざ出産後、助産師さんの指導のもと手で搾乳すると、

「全然でねえ!手がつる!」

まあ出産直後すぐじゃばじゃば母乳出るわけないので、出ないのは当たり前なのですが。

子どもが育つと共に分泌が良くなったとしても、これを入院中直母と同じ回数毎日、しかも術後に夜中も出来るわけないので、搾乳機を使うことに決めました。

 

搾乳機の選択肢

搾乳機には電動タイプ手動タイプがあります。私の印象をざっと書きますと、

   電動タイプ

    - とにかく楽

    - 音が結構大きいのもある

    - 高価

    - 吸引力の調整が手動よりきかない

   手動タイプ

    - 手がだるい

    - 安い

    - 強さの微調整がしやすい

当たり前ですが、電動は楽ですが高価。そして特に据え置きタイプは音がギュオンギュオンと大きいのもあります。

手動は手絞りよりは楽なんですが、結局手を使うのでだるくはなります。特に分泌の悪い初期に手動ですると本当に大変です。でももちろん安価。

ただ電動はレンタルという選択肢もあります。1週間とかの短期間の使用であるなら、電動のレンタルがいいかもしれないですね。

あと長く使う場合も、レンタルで具合を試してから購入する手もアリだとは思います。

 

私は産院でお借りして試してから購入しました。

試したのは以下の3つ。

 

 

 

 

 

産後すぐの分泌の悪い時は、メデラ社のもピジョン社のも手がだるくなってやってられませんでした。

電動は流石に時間はかかりますが、まあ当然楽だなぁという印象です。

ただ、電動は吸引の強さを微調整しにくい、使い続けると乳頭が切れそうだなとは感じました。これはわたしが乾燥肌で皮膚が荒れやすいせいかもしれません。

電動に気持ちが偏ってはいましたが、決め手にかけるため、この時点では保留に。

そして3週間ほどたち、母乳の分泌が激しく向上してきた頃、もう一度産院で試させてもらったところ手動がものすごく楽になっていました!

私の場合、メーカーの違いはあまり気にならなかったのですが、ピジョン社の方が、もともとある程度の分泌がないと手がキツそうな感じが若干しました。

また助産師さん曰くは「人によっては乳房や乳頭の形、分泌量によってメーカーの違いをはっきり感じる」とのことですので、これは人それぞれ試さないと分からないみたいです。

という訳で、我が家の家計事情も踏まえ、ピジョン社の手動を選択しました。

手が多少だるくなるのは仕方ないとして、娘を抱っこしない間の筋トレだと思うことにしました。

 

これから選ばれる方がいましたら、実際に必要な母乳の分泌と同じ状態で試す、つまり必要時期に近い頃に試して決めるのがいいと思います。

(レンタルは届くまでに時間がかかったりもするので、その点はご注意ください)

 

入院中に使ってみた感想

1回目の入院では7日間、約3時間ごとに1日8回くらいの合計50回くらい搾乳したことになります。

娘の泣き声タイマーがないので、1度夜中5時間寝坊した時は、乳房が暴発しそうになっていて大変でした。

まだ1ヶ月の娘に与える搾乳なので、毎回分解して洗ってミルトンしていました。

そして、感想としては、

「やっぱり手がだるい」

まあ安価な方を選択したので仕方ないのですが。

あとは、吸ってもらうよりも残尿感ならぬ残乳感が多く、ずっとスッキリしない感じが続きました。

手動でも高価なものを使えばこの辺りは改善するのかな?と思いながら、しこりの出来そうなところを手絞りで補いました。

 

おかげで乳腺炎などのトラブルはならずでしたが、分泌量は少しずつ、でも明らかに減っていました。ので、県の助産師無料電話に相談。

減った分泌量は、退院後直母の回数を増やすことで、1ヶ月程度でもと以上に戻ることが出来ました。

入院③ 手術後1日目から7日目の退院まで

こちらの記事の続きです。

入院② 手術日 - Ginpaの甲状腺がん闘病ブログ

 

 

1日目

手術当日の夜から明け方にかけて、首こり肩こり腰こりのため、起き上がりたい欲求が半端なかったですが、朝に担当の看護師さんが来るまでは寝たままでいて下さいと言われていたので我慢してました。

もぞもぞはしていたのですが、ドレインの管がどう繋がっているのかが見えず、変なことになっても嫌なので大きくは動けなかったのです。

首の周囲は郭清時に皮膚表面の神経も切ったため、アゴから右耳の後ろまで麻痺が残っていて感覚がありません。正座で痺れた時のアレが首回りにある感じです。辛かったです。

ようやく朝一の看護師さん登場時には女神に見えました。(大げさ)

 

この時、体には点滴とドレインの管、カテーテルが刺さったままです。

看護師さん見守りの中、トイレまで歩けたらまずはカテーテルが抜けて平常時に一歩近づきます。

ですが、動けば傷が開くんじゃないかとかドレインが抜けるんじゃないかとか、その時めっちゃ痛いんじゃないかとかの怖さがありました。

しかし、平常時に戻るための大きな一歩です。腹筋動作のように片手だけ後頭部を支え、片手はベッドガードを持ち、一気に起き上がりました。起きれた!

看護師さん「えっ、急にうごきすぎ!(゚o゚;;」

…電動ベッドを動かしてゆっくり体を起こせばよかったようです。

 

カテーテルも自然にはちょっとやそっとじゃ抜けないので、足も勢いで動かしてトイレまで行きました。

無事カテーテル除去完了です。スッキリ。

 

手術翌日の1日目はこんな風にしてそこそこ歩いたりしながら過ごしていました。が、ふと鏡を見て「誰だこれは!」ってくらいあごから郭清した側の首が腫れていることに気がつきました。水でも溜まってるのかってぐらいブヨブヨなのです。

看護師さんに恐るおそる尋ねると、郭清したりした術後の影響で腫れは徐々に引いてゆくとのこと。

少し安心しましたが、かなり焦らされました。

 

2日目〜7日目の退院

その後は、毎日の胃カメラもどきでの声帯チェック(鼻に海水入った時みたいに痛い)で憂鬱になりながら、日に日に回復してるような気がする傷とともに退院日が決まりました。

傷の痛みは2日目くらいから出始めましたが、まあ我慢できる程度で日に日にましになっていきました。夜寝にくい時だけ痛み止めをもらっていました。

手術から3日目に抗生剤の点滴が抜け、4日目にドレインが抜け、6日目に抜糸、7日目の朝に退院となりました。

 

私の場合、ドレインが抜けたときの解放感が一番大きかったです。

A先生「ちょっと違和感ありますよ」と言われ、ズボッというそこそこの衝撃と共に抜いてもらいました。

痛みはほとんど無かったのですが、想像より大きな感触だったので、思わず「おふぅ!」という結構大きな声が出ました。が、先生、看護師さん皆スルー、、余計に恥ずかしかったです。

抜けた管を見ると、刺さっていた部分がストロー5センチ分ほどであったことがよく分かりました。あまり痛くなかったのが不思議なくらいです。

「こんなゴツいのがしかも2本抜けたらそりゃスッキリするよなぁ」てな感じです。

 

提供される病院食も授乳中(搾乳中)のためか、毎回完食です。授乳中を理由にお米の量を増やしてもらっていたのですが、それでも足りずにコンビニ菓子を買い足して食べていました。

(しかし体重増えず!母乳生産の消費カロリーってすごいです。)


この時点でまだ腫瘍の病理検査の結果は出ていませんでした。

 

手術後の症状の経過など

まず気になったのはアゴの腫れと首回りのコリと麻痺ですが、追加で私の場合は声枯れがひどかったです。

鼻から入れる胃カメラもどきで声帯は問題ないことをチェックしてもらっていましたが、術後2、3日は聞き取りづらいくらいひどい枯れっぷりでした。

 

アゴの腫れ、声枯れ共に、手術から2週間くらいでほとんど気にならないくらいに元に戻りました。

首回りから肩にかけてのコリは毎日ストレッチすることで徐々によくなりましたが、これは元通りになるまで2ヶ月くらいはかかりました。

ただ、首回りの麻痺だけは年単位で治るものだそうで、3ヶ月以上たった今、マシにはなっていますが何となく麻痺したままです。
肝心の傷は、A先生の指示通りケロイドを防ぐ傷テープを貼り続けたところ、今は線が残るのみです。

 

そういや一般的にも手術後と言えば当たり前なのかもしれないですが、ドレインが抜けるまでシャンプー出来なかったので拭き取り洗顔ドライシャンプーが重宝しました。

 

 

 

 

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